ども、イマシタです。
徒然草。知ってますか?
中学か高校の古典の教科書で出てきますよね?
僕も最初の方しか覚えていません。
ちょっと前に話題になったんですけど。
この徒然草 第150段が、声優なり、俳優なり、何らかの表現を始めたいと思ってる人には憶えといてもらいたいことが書いてあるんです。
僕が俳優・声優トレーニングをする時には、必ず最初にこの言葉をプレゼントします。
知っておいて損はない言葉です!
何百年も前に書かれている事が現在でも当てはまる!
言い換えれば、こんな普遍的なことは無いってことなんでしょうね。
最後の方に、僕がこのテキストを使うときにやってもらうことを、おまけで書いておきます。
ぜひ!見て行ってください!
それでは、どうぞ!
これから芸事を始めようとする人は…
能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
ざっくりした意味を言うと、これから芸事=表現者を目指そうという人は
まだまだ習い始めたばっかりだから、初心者丸出しで見せるのは恥ずかしい!こっそり練習して、だれに見せても恥ずかしくない様になってから披露しよーっと!断然そっちの方がかっこいいしーっ!
なんて思う人いますが、そんな事言ってる人は、芸を身に着ける事はできない。
僕は、基本的に上の女の子のように思った事はないんですよね。
とりあえずやったもん勝ちというか、あんまり後先のこと考えないからですね…まあ、欠点なんですが
まあ、でも女の子のように思っちゃいますよね。現にそう言ってるの聞いたことありますし…
確かに、いきなり出すのはちょと考えた方がいい例もあります。
例えば、ナレーションのサンプル。
これは、サンプルとして後々残るものだし、それを聞いてクライアントから選ばれる訳なんで、まったくの初めてより、ある程度練習してから録音した方がいいとは思います。
ただ、録音しないことには分からない事も確実にあります。話し方や強弱のつけ方とか。
そんな「発見」は経験してみないとわからないことがあるんです。
だから、僕は勝手に
こっそり練習するんじゃなくて、目的を公にして練習するように
と解釈しています。
初心者だからなんなのさ!
未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、そ骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
だって、初心者がベテランの中に入っていって、馬鹿にされたり笑われたりしたら恥ずかしいじゃないっすかー
気にするな!
この一言に尽きます。
もっと言うなら
あえてそういう所に身を置いた方が、何倍も自分の身になるぞ!
ですかね。
てか、ベテランというか、何かに長けてる人は、馬鹿にしたりそしり笑ったり、そんな事しないでしょう?もし、
そういう人がいるなら、そっちの方が素人ですよ。
誰だって最初は素人なんです。今はベテランの人だって間違いなく。
人間やるのだって、最初は何もわからないことから始まるんですから。
素人のうちから、そういうベテランの人がいる中に混じって、もし、笑われたってバカにされたって、そんなこと気にも留めないで、「なにくそーっ!」って頑張ってる人の方が、たとえ天賦才の才がなかったとしても、うじうじそこに留まったりしないで、いい加減なことをしないでやり続けて行きなさいよ‼
みたいなことを言ってます。吉田さんは。
あと、僕の経験上、ベテランの中での経験の方が、何も知らない人たちの中にいるより、はるかに得るものが多きい!
そういうことを考えながら精進してゆけば、ちょっと才能があって、そんな努力もしないでいい気になってる奴なんかよりは、ウサギとカメじゃないけど、最後には、名人の地位まで上り詰める!
そうすれば、おのずと、自分に何が足りなくて、何が長けているのかわかって、人徳のある、天下無双のラオウになる えと…同じような人がいないと言われるまでになる!
ちょっとふざけ過ぎました…
誰でも、何か始める時は1年生
天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。
確かに、だれでも人間一年生からはじまってますもんね!今じゃ超有名な名人といわれる人だって、はじめは「へたくそ」とか言われたり、欠点や弱点みたいなものもあったでしょうし…
そのとーーーーりっ!
ただ、名人といわれるような人達は何が違うかというと、自分の信じた道をしっかりと見据え、その道の掟に従い、一心不乱に突き進んできたということ!(僕が言ってるんじゃないんですよ。吉田さんが言ってるんです。)そうやって初めてその道の名人として、たくさんの人から名人・師匠と尊ばれる存在になっんだ!
この話は、芸事=表現の世界だけの話じゃない!いろんな世界に共通する話だ!
…です。
まとめ
説明と僕の気持ちもごっちゃになってしまいましたが、何事も、あれこれ考えすぎないで
経験してみよう!失敗しても、その失敗が経験になる!
みたいな気持ちをもって、僕はこの吉田さんの言葉を贈っているわけです。
おまけ
僕がこのテキストを使うときにやっていることというのは漢字の検索です。
僕、ナレーションの仕事もしてるんですが、だいたいは、当日に原稿を渡されます。
めったにないですが、たまに、なんて読むのかわからない漢字があります。
そんなとき
でへへへへ、これ、このかんじ、なんてよむんですか?
なんて聞くの恥ずかしいじゃないですか?
後、ドラマやなんかの撮影や、お芝居の稽古にも必ず「本読み」というものがあります。
ここでも、平気で「これ、なんて読むんですか?」って聞いてくる人がいます。
正直、ちょっと、イラっとします。
てことは、オメー家で読んでないよね?
ってことでしょ?
僕が何日もかけて書いた本(あ、僕、作家や演出もやってます)を前もって渡してあるのに、読んでない。せめて自分のところくらい読んどこうよって。
そう思われないためにも、自分で調べる癖をつけておきましょう。
そこで登場!
じゃじゃん!け~い~た~い~で~ん~わ~
文明の利器を使って、どうやって調べるのか?
今回のテキストにはルビが打ってありますが、僕が使うときはわざと外して渡します。
例えば「毀り」を調べる時は「臼」に「土」で検索すると毀損がヒットします。
お‼毀損の毀じゃないか‼
と分かったらこっちのもんです。
わかる漢字が偏や旁なんかの部首にあれば、大体検索できます。
そうやって、分からないことは自分で調べる癖をつけてもらいたいからです。
今日の反省
ちょっと創作しすぎて、本来の150段から逸れてるような…
でも、なんとなく伝わったでしょう?
あくまでも、イマシタ個人の見解です。
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