ローカル役者が考えてみた!存在感って何だろう?その1

圧倒的な存在感表現

ども、イマシタです。

ローカルで役者を30年近くやっているとよく「存在感」という言葉を耳にします。

「あの人、存在感あるよね?」とか

「なんか存在感がないんだよね」とか

「存在感難題!存在感!」などなど。

そんなこと言われてもようわからんのよね

そう思われる方も多いと思います。

そこで、ローカル役者を30年近くやってきたイマシタが、「存在感」について考えてきたことを

2回に分けてまとめてみます。

ちょっと堅苦しい感じにはなりますが

  • これから俳優を目指そう
  • これから声優を目指そう
  • シニアモデル
  • 体を使った表現をしたい
  • 表現においての存在感を身に着けたい!

こんな方々には役に立つことがあるかもしれません。

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そもそも「存在感」って何?


存在感って抽象的な言葉ですよね?

目に見えるわけでもなく、計測できるものでもない。

ドラゴンボールのスカウターがあれば別ですけども。

んで調べてみました。

人や物が確かな存在であると印象づける感じ。「強い存在感のある役者」「圧倒的な存在感」

出典:Weblio 辞書


イマシタ
イマシタ

う~ん…難しい

例文に役者が出てくるあたり、やはり表現において存在感というものは大事なものなんでしょう。

じゃあ、「そう見える」とか「自分は持ってる」と思うだけでいいのでしょうか?

ぼくは、少なくとも「存在感」には自信があります。存在感しかないくらい。スキルも何もなく存在感でこれまで生きてきたといっても過言じゃありません。ナンニモナクテコメンナサイ…

考えるに

  • 身長178センチ
  • 体重95キロ
  • 髪の毛が薄い(ハゲ)
  • Mrインクレディブルみたいな体型(胸板が厚い)
  • 声がでかい

などなど、特徴的なところはあります。

じゃあ、こんな特徴を持ってる人は存在感があるのか?

…まあ、…普通に生活するうえでは、存在感はあると思います。ていうか、目立つ感じ。


でも、ここでいう「存在感」は俳優や声優なんかの「表現者」としての存在感です。

僕のようなクリーチャースペックを持ってない人でも「存在感」がある人は五万といます。


では、その人たちとの違いは何か。
僕が長い間考えてきたことを書いていきたいと思います。

そこに存在するということ


皆さんは、そこに存在することについて考えたことありますか?

そこに生きてる。そこにいるってことが存在なんじゃないっすか?

確かにそうです。


僕が芝居を始めたころ「そこの在存(ざいぞん)はあるか!」とよく言われました。

最初「ざいぞん」の意味が分からなかったので何となく流してましたが、後になって在存とは存在を反対に読んだ言い方なのだと気付くと腑に落ちました。

だって、そのころ、存在感なかったもん。

だから、ぼくもはじめのころは上の人みたいに思ってました。

生まれてこの方、生きてる限りずっとその人は存在し続けています。でも、大方の人は、自分が存在してるということを認識したことはないんじゃないかと思うんです。


なぜなら、自分の存在を認識する必要がなかったから。自分が存在することは「当たり前」の事だから考える必要がなかったわけです。


でも「そこに在存はあるか!」としきりに言われ始めたのです。これは、自分の存在について考えなければいけません。

だって考えなければそこに在存が在る無いか答えられないから!

けど、これを考え始めるとなかなか難しい。

「存在意義」ではないんです。

「存在」そのものなんです。


だから、僕は最初に「自分は存在する」という認識を「仮定」するところから始めました。

平たく言えば、僕は、ここにいると言う事を、あらためて、確認したわけです。

イマシタ
イマシタ

うん。俺、ここにいる!

虚構の世界における「存在」


普通の生活をしていると

なんかそれ、演技っぽいね

とか

なんだか芝居がかってるわね

なんてことあると思います。

こんな場合の演技とか芝居ってのは、誇張とか嘘っぽいとか、リアルに感じられないことを言ってるんだと思うんです。

日常生活においては、そのことは、さほど問題にならないでしょう。

知り合いから嫌われるとか友達が少なくなるとか、その程度の事です。

イマシタ
イマシタ

十分嫌なんですけどー!

という声はさておいて。


でも、役者や俳優、声優(この先、表現者とまとめますが)の世界で「演技っぽい」とか「芝居がかってる」というのは避けたいもんです。


では

なぜ、そういう風に見えるのか?

そこに「存在」というのが大きくかかわってくるのだと思うんです。

普通の生活の時は、そこに存在するという事は認識する必要はないとさっき言いました。

そこに存在するのは当たり前のことだから。


でも、表現の世界ではどうでしょう。

表現の世界で存在を表す場所は、例えば、舞台の上。例えば、カメラの前。例えば、マイクに向かって

そう。虚構の世界で表現しなければいけないのです。


虚構の世界で「嘘っぽいこと」「演技っぽいこと」してしまうと、そこに存在は得られません

なぜなら、その虚構の場所で「嘘っぽいこと」「演技っぽいこと」すると、そこには生きてない人になるからです。

「虚構」に「虚構」を重ねてしまうわけです。


そこで、「存在してることを仮定」してる僕は、こう考えるわけです。

イマシタ
イマシタ

なぜ、生きてない人になるんだろう?

これです!

ここから、いよいよ仮定であった「存在」がわかってくるのです。

で、いいところで続きます!

今回のまとめ


まず、自分が存在するってことを改めて確認してみよう。

虚構空間で「生きてる人」になるには何が必要か考えてみよう。

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